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コンドルの系譜 ~インカの魂の物語~

第七話 黄金の雷(3)

雨 (トリス・紺)

【 第七話 黄金の雷(3) 】

次第に雨脚が強まる中、漆黒の闇に包まれたインカ軍の陣営では、甲冑と得心の武具で完全に武装した騎馬兵たちが、一縷の乱れも無く、総指揮官トゥパク・アマルの前に、完璧なる整然さで隊列を成していた。

雨粒が、ますます、その大きさと激しさを増していく。

白亜の逞しい愛馬に跨ったトゥパク・アマルは、己の全身に打ち付ける雨を愛しむように、瞬間、空を大きく振り仰ぎ、その瞼を閉じて天空に深い礼を払った。

それから、再び、その美しい切れ長の目を見開くと、燃えるような瞳で全軍を見渡し、力強く腰のサーベルを引き抜いた。

全軍に、激しい士気が漲る。

そのまま、トゥパク・アマルは、しなやかな褐色の指で握り締めたサーベルを、天空に掲げ上げるように高々と振り上げた。

それを合図に、敵陣めがけ、今、インカの騎馬軍団が一斉に疾走を開始する。

トゥパク・アマルが先陣切って走る後を追うように、インカ軍の二万の軍勢が怒涛の激しさでスペイン軍の陣営に襲いかかった。

スペイン側の見張りが驚愕して合図を放つ間も無いほどの速さ――鍛え抜かれた駿足の騎馬兵たちが、猛り狂うがごとくの凄まじい勢いで、砂塵を蹴散らすかわりに雨水を弾き飛ばしながら、嵐のようにスペイン兵に討ちかかっていく。

突如、夢を破られたバリェ将軍をはじめ、アビレス大佐たちが反撃の態勢を構える頃には、薄く降りしきっていた雨は、天から地に叩きつけるほどの大粒の雨に変わり、轟音と共に、前方の視界を失うまでに激しく落ちてきた。

青光りする稲妻が、黒い天空を切り裂いて走る。

flash lighting

トゥパク・アマルは大雨に打たれながら、己の剣を振り翳(かざ)し、「天と大地の神は、我らインカを守り賜う!!今こそ、インカの神々の雷(いかずち)を受けよ!!」と猛々しく雄叫びを上げ、あの修羅のごとくの形相で、混乱するスペイン兵を次々と薙(な)ぎ倒していく。

それに呼応するように、インカ兵たちも「インカの怒りぞ!!知れ!!」と雄々しく絶叫しながら、大雨の中を狂ったように馬を馳せ、人、物も構わず、その剣を、槍を、戦斧を振り下ろした。

対するスペイン側は、爆音のごとくに激しく叩きつける大雨の中、銃器も役立たず、また、大砲に至っては、雨水で滑り、僅かに向きを変えることすら至極困難な有様であった。

火器の無い肉迫戦には、ただでさえ圧倒的に慣れているインカ軍の兵たちは、しかも、今、その天地の恵みと、トゥパク・アマルの情熱的な鼓舞により、至上の士気の高まりの中で己の潜在力さえ開花させる。

彼らは馬を飛び降りると、己の腕にも等しき鈍器やサーベルを縦横無人に振り翳(かざ)し、切り返し、あるいは、オンダ(インカ時代からの伝統的な石製の飛び道具)を放ち、まるで一兵一兵がインカの軍神の光臨のごとくに、激しくも、着実に、スペイン兵を圧倒し、打ち崩していった。

トゥパク・アマルも愛馬から飛び降りると、己の重厚な剣で白い敵兵を薙(な)ぎ倒しながら、敵将バリェを探して走った。

それを、豹のように俊敏なビルカパサが援護する。

まるで雷神が憑依したがごとくに、雷鳴轟く豪雨の中を、その逞しい全身を自在に翻しながらトゥパク・アマルは疾走し、そして、斬り続ける。

今、恐ろしいまでの気迫が、彼の全身から放たれていく。

トゥパク・アマルの漆黒の長髪は、水に濡れた衣装の下から輪郭を浮き立たせた肉体や、そのぶ厚い甲冑の表面にベッタリとはりつき、稲妻を照り返す剣を握って夜闇に浮き上がるその姿は、氷のように冷徹でありながらも、現(うつつ)離れした妖艶ささえ湛えている。

無数の雨水が伝う彼の全身には、その容赦無い刃にかかった敵兵の体から放たれた真紅の血飛沫が幾度も跳び散っては、たちまち雨水と共に地に消えていく。

敵兵たちは、彼の鋭い一閃を浴びただけで、その身を凍らせた。

終焉

トゥパク・アマルは獲物を狙うコンドルの目そのままに、周囲のスペイン兵を破竹の勢いで斬り倒しながらも、敵将バリェを探し続ける。

しかし、さすがにベテラン軍人バリェは、現在の状況に勝機無しと素早く見て取ると、トゥパク・アマルの相手をするよりも、自軍の兵を安全に退却させることに意を注いでいた。

とはいえ、十分な退路をもたぬスペイン軍は、無残にも、多くの兵がインカ兵の手にかかって負傷し、あるいは、命を落とした。



空が白みはじめる頃には、雨も止み、それに合わせるようにトゥパク・アマルは撤退の号令を発した。

その指令のもと、その去り際も駿足のインカ軍が、疾風のごとくに馬を馳せ、己の陣営へと引き返していく。

一方、後に残されたスペイン側の陣営は、全く惨憺たる状態であった。

バリェ将軍やアビレス大佐は辛うじて危機を免れたが、無数の兵が戦死し、将軍の天幕も襲撃されてボロボロになっていた。

それでもバリェは、残った自軍の兵を何とか建て直し、遅れてトゥンガスカに進軍中の総指揮官アレッチェのもとに、再度、褐色兵を急ぎ派遣するよう使者を放った。

トゥパク・アマルの、再びの襲撃に備えるためである。

バリェは、翌日の夜からインカ軍の奇襲を徹底的に警戒し、不寝番をこれまで以上に多数配置し、全兵とも武装して寝るよう命令した。



だが、前回の奇襲は、言ってみれば、トゥパク・アマルの心理作戦でもあり、実際、彼は再びの奇襲は考えてはいなかった。

トゥパク・アマルは、奇襲なるものが、そう幾度も成功することのないことを熟知してもいた。

それよりも、この先に控えるトゥンガスカの本陣での本格的な決戦準備が整うまでの最大限の時間を稼ぎ、自軍の兵の消耗を最小限に抑えたまま首尾良く撤退することに神経を注いでいた。

従って、バリェが呼び寄せた「リマの褐色兵」が当地に到着する頃には、既に、当初から準備していた退路――そもそも、最初から抜け道を見つけた上でこの場所に布陣し、スペイン軍を誘い込んでいたため――を使って、スペイン軍が殆ど気付く間も無いほどの迅速さで、軍勢を率いてさっさとその地から姿を消していた。

結局、バリェは、いざや反撃、と勢いづいた時には既に敵軍の姿は無く、かくして、スペイン軍は完全に出し抜かれたまま、インカ軍があっさりと脱出するのを許してしまった形となった。



◆◇◆ここまでお読みくださり、誠にありがとうございました。続きは、フリーページ第七話 黄金の雷(4)をご覧ください。◆◇◆








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